綿風コウランの住処

綿風コウランの個人ブログです!

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2018年度まで

超お久しぶりです、コウランです!!

まず真っ先に、ペンネームとして「綿風コウ」という名前を使います。

今まで通りコウラン呼びでかまいません、以後お見知りおきを!

(たぶんゲームではコウランは使い続ける、ポケモン剣盾もそうする)

 

ここまでの空白がちょっと長すぎて、一つのブログとしてまとめるには色々と限度がありますね。

忘れそうなので一気にまとめますけど!!

今回の更新はタイトルでもわかるように2018年度までの振り返りになります。 

量がすごいです、9年間のガチ経歴になりますので…

 

まず、無職になっています!!!

この時点でもう明らかに「普通ではない」のが分かりますね!!

自分でもどうしてこうなったのか…

僕の人生に何が起こっているのか…

 

我々はその秘密を探るためにアマゾンの奥地に向かった。

 

ここのブログだと断片的にしか分かんないんですよね…

これまでちょくちょくまとめているんですが、あの頃に戻りたいだとか今はカントーにいますだとか くらいしか書かれていないのですw

 

これまでの経緯を描きます、うごメモ時代からさかのぼります!

リアルもうごメモも、Twitterも一気に入れています!!

あまりにも… 今 発信したいことが、たくさんあります。

 

2010年 (ほぼ全部知る人ぞ知る)

うごメモ時代全盛期、その頃までkôtで活動してました。

初期はドット絵メモを描いて、合作も進めてました。
知る人ぞ知る作品のEX0の代筆してました。

エルフーンとの運命的な出会いを果たしました!!

12月にコウランという名前に変えました!!

 

リアルではPC部に所属していた公立高校の生徒、
2011年以降のリアルがとても大きくてそれ以前は薄まったと思われます。 

2011年 (チャットと震災と…)

うごメモのチャットにはまり、その人たちと今も仲良くしてます!

そのおかげもあってうごメモポケモンの大きな企画も担当できました!
うごメモ版いえるのかBパートのリーダー担当)

震災もあってうごメモのつながりの偉大さを実感しました…!

6月まではうごメモで純粋に楽しんでいました…
家でネット出来るようになったので、PC部は3月に辞めました。

 

夏までは美大や絵の専門学校を検討していました。
ただ…やっていける自信がなかったのです。

そんな中で受験勢に触発され、勉強するのが無難かなと本気で思いました。
急に国立志望に9月になって変更したのです。

あと先生の話わからず悔しくて衝動的に補聴器壊しちゃったこともありました…

 

そして、秋からは ひたすら勉強に明け暮れました。

 

2012年 (泥沼の受験期)

センター試験で思いっきりすっ飛び、二次試験もあえなく敗退…

まあ当然だよね、詳細は後述するが当時は本気で勉強不足と思っていました。

自分の脳が憎くて衝動的に家の壁に頭突きして穴をあけてしまいました。

高校を卒業し、フリーター期間に突入しました。
ただ肩書上は浪人生、
予備校に行かせる支援もなく、
ただ一人で勉強に明け暮れました。

登録制バイトでお金の軽減も行っていました。

 

時間の余裕ができたため、難聴と頭突きした頭の影響がないか、
大学病院にて脳の検査を行いました。

その時にWAIS-IIIを実施、発達障害をほのめかす診断結果も貰っていました。

また、同時に生まれつきの障害である難聴について身体障碍者手帳を取得しました。

今思えばその時の行動は人生において超ファインプレーだと思います!!

(脳機能障害および難聴についての重大な資料になるのと、福祉支援を利用できるのがとてつもなくありがたい)

 

当時の内容はこのブログにも軌跡をはっきりと記録していますね。

その補足として、勉強してきたことについて箇条書きすると…

  • 生物に興味が出てきたので教科書貰って生物を独学で勉強していた
    (今思えば勉強という建前で絵もできるからだと思う)
  • 農学部や生命工学部を本気で目指そうとしていた
  • 苦手な英語を克服するために長文読解を重点的に勉強した
  • 秋頃になってやっぱ興味あるのは化学だと思って物理化学に変更した
  • 物理化学の成績は問題なかった、数学がむしろ問題のままだった
  • 受験に染まっていたので、芸術方面の道はすっかり見えなくなっていた

そしてうごメモがおざなりになっているよ!!
ということでうごメモでは…

  • 勉強優先のためほぼ封印状態に置かれていた
  • ちょくちょく作品は出していたしチャットもたまに行ってた
  • 耳コピに興味が出てきたのでメイドイン俺で作ったやつをリリースしてた
  • お絵描きは普通に楽しんでいたと思う、勉強第一だったけど…

2013年 (大学生活の始まり)

センター試験は普通に失敗したけど、前年よりは成績を伸ばすことができました!

特に理科が大きく成績を伸ばすことができたのはひとえに多くに興味を持ったからだと思います、そのことは今もその通りだと思えます。

国立はどこも絶望的でしたが、私立のセンターを併用した受験形式を用いて、
ほぼ化学数学だけで、私立へ進む形で、
受験に決着をつけた、つけてしまいました。(後述します)

そのまま大学生活に突入することになりました。

ゲームは封印してなかったです。
2012~2013年の間は
リズムハンター ハーモナイト」「とびだせ どうぶつの森
にドはまりしてました、今も大好きなゲームです!

大学入って真っ先に動揺したのが「DSiうごメモのサービス終了」でした。

うごメモは僕にとっての故郷であり、
受験終わってDSiうごメモがまた心置きなくできる!
…と思った矢先にこれですから、ただただ悔しかったです。

最後の最後に大きな作品作りたくって、でやり残したことといえば、
「他の人のスピンオフ作品を作りたい」
一心で300ページに及ぶ漫画描いてました。
(スピンオフ元には3DSうごメモリリース後に見てもらいました)

清書間に合わなかったとこを3DSで描こうと思っていましたが、
エネルギー尽きてしまったので全く手を付けてないですね!!

 

DSiうごメモで得られたので大きいのは「チャット仲間」だと思います。
終わる直前までチャットで最後のチャットをやったのは良い思い出です。
最後らへんになるとDSiで描かれたコメントが反映されなくって、
まあいろいろとお祭り状態でしたね、今も色濃く思い出に残っています。

3DSうごメモも なかなか楽しかったですね~

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こういうの描いてましたね!!

うごメモのことは3DSのシステムが今までのつながりを希薄にされて、
自然と離れる形をとるようになりました。

絵心教室やColors!を使ったカラーイラストが増えだした流れです。

後、どうぶつの森マルチプレイするのドはまりしてましたね!(二回目)

 

リアルの事情では

まず美術部に真っ先に所属してました、水彩厚塗りが得意でした。

ただ学校の勉強が忙しすぎて、
夏の絵には間に合ったけど、秋の絵が間に合わなくて、
学業至上主義が刷り込まれた当時の自分には描くことすらできなくなりました。

実験のレポート、課題、過密な時間割、往復2時間30分の自転車通学もあって、

トドメとなったのが

  • 耳と脳の特性により、部会の話の内容が全く理解できなくて悔しかった
  • 忙しいのに話が聞きとれない環境に僕がいる存在価値が分からなくなる
  • そして美術部にいることが苦痛になってしまった
  • 体力的と精神の限界を迎えてやめる形を取ってしまった

今思ってもかなり悔しいです、趣味の絵は続けられましたが…
美術部の展示は卒業まで毎回見に行ってました、絵の情熱は褪せませんでした。

2014年 (支援の形、自分の形)

とにかく学業が忙しかったですが、支援の形について考えていた時期です。
ゴーストライター - 綿風コウの住処

この時も言ってましたが、聴覚障害を持つ僕が偏見に対してどう戦うか、

目に見えないというのは発達も聴覚も逆風と今も思います。

これを補うための体験学習として、大学ではノートテイクプロジェクトを立ち上げていました、学部の先生にはその点でめちゃくちゃお世話になっていました。

実際に受けてみて、情報保障を得られるのが本当にありがたいと感じられる反面、
人に頼ることにすごく抵抗があり、そもそも成績もそれで伸ばせたわけじゃなく、

テイクしてくれた内容が膨大になり自分で処理が追いつかなくなったため、
半年でとりやめるようにしてしまいました。

当時は人に頼ることが、とても怖かったのです。
僕のために用意してくれてること、そして期待のもたれ方、
そんな関係に僕自身の心が耐えることができなかったのです。

そんなそんなでどうにか、勉強もやっとの思いでついていく毎日でした。

 

秋にはペンタブレットを購入してました。

www.pixiv.net

それを皮切りに趣味の絵も一歩進むことができた形です。

2015年 (ネットのコミュニケーションによる第二の青春期)

タイトル雑なの色々と思いつかなかったせいと思ってください!

大学は勉強するだけと割り切ってフットワークが軽くなったため、
対戦オフ常連、東京や広島のオフ会、趣味絵の再開

あとモンハンにはまっていました!4G、X辺りでしたね!
刀剣乱舞にもはまりました、今も「こっと」のデータですね!

 

ただその反面、仲良くしてくれた人に縁切りされたのがちょっと濃いですね…
3月に縁を切られて、拒絶されたことに心がまた壊れてしまいました。

立ち直りつつも、夏にやった別の人とのオフ会は本当に楽しかったです。
今も一番の友人ですし、その頃の会話履歴は今も見返すくらいです…

たぶんネットを介したコミュニケーションで、
色々と僕の中で育まれた時期だと認識してます。

 

そして、ポケモン20周年が近づいてきて、自主的に僕も担当したい!と申告し、
エルフーンハネッコたちを担当させてもらったのは本当にうれしかったです。

日々コンテを練って、趣味だけど絵も伸ばして、
仲良くした人との つらいことも楽しいことも、混じり…

多分最も大学生活の中では青春していたなあと今振り返ると思います。

その頃の自分は今の自分の礎になっていると思うくらいです。
(ただし、オリジンは2011年にある)

 

学業は色々と乗り越えて学校の勉強としてこなすと決めていたので、

色々と考えずに必要なことを学ぶのみでした。

最も気楽に勉強できました。

2016年 (ものづくりと、卒業研究と、就活)

ポケモン20thとして超盛り上がりましたね!!濃密でした!!

自分の担当したとこの反応とか見るのめっちゃ楽しかったですし、
裏の制作状況なども併せて ものづくり本当に楽しかったです…!!

この動画もあって僕のエルフーンを好いてくれる人がたくさんいて、
僕のものづくりがようやく肯定されて、本当に嬉しかったのです。

その機会もあって、僕自身はものづくりしているときが一番楽しいんだなあと、
改めて感じられたのです、ブログの過去ログもそんな感じになってます。

そして!ついにポケモンもサンムーンに突入しました!!
今もまだサンムーンは現役世代ですし、
絶賛放送中のアニメポケットモンスターのサンムーン編は一番好きです!!

もう後1年もないのかと思うと寂しいですが、ここまで毎週リアタイで見てますし、
Twitterでも毎週リアタイで実況してるくらいです #anipoke #アニポケ

 

サンムーン発売されるまで、就活と卒業研究してましたね。

卒業研究では「化学工学で出力されるデータの解析」でした。
MATLABという工学演算用のプログラミング言語を使った研究でした。

たぶん僕は他の研究、今思えばできる気がしないんですよね。
ずっとPCに向き合ってちょっとずつ作業を進めていく形でした。

その上で毎回違う趣向を凝らして考え、画期的なアイデアを日々書き溜め、
試行錯誤し、アルゴリズムを研究しつつ、論文書いて…という流れでした。

 

後、春休みの間に教習所に通いつめ、5月には運転免許取得できました!

 

大変だったのが就活!

これまで色々といっぱいいっぱいだった自分に「社会に入る」こと…

これまでの人生で得られたこと、そして進むべき道…
当時は、実はさっぱり掴めていなかったんです。

この時の就活は「物理化学を学んだうえで、それを活かせるところに就く」
ただ それだけをポリシーにしてきました。

その結果、夏になっても、秋になっても、ずっと落とされ続けました。

身障者枠を受けても、さっぱり手ごたえもつかめず、
挙句に9月になってから、面接先にトドメの一言を食らいました。

聴覚障害持ってるため工学機器で事故の危険性が高い」

これは折れました。

僕の心がバッキバキに折れて、
化学工学を活かした道に進むことはこの時に断念しました。

 

その上でもう一度自分を見つめ直し、IT業務に転換することに決めました。

当時のスキルは

  • 化学工学ばっか勉強してきた
  • 絵は趣味だけでやっている
  • 学校の勉強でVBA、Visual C++を扱ってきた
  • 卒業研究のメインがC++に近いMATLAB

ここから照らし合わせて、必然的にプログラマーとしての道を選びました。

というのも、当時はそれくらいしか選択は残されていませんでした。

 

そして、11月になってJavaを1週間で使えるようにして、

晴れてシステムエンジニアとして東京の会社に内定を獲得することができました。

 

当時は本当に安堵しました、サンムーンが心置きなくプレイできますので…!

 

ただ、ここから、また歯車が狂うことになったのでした。

2017年 (社会人一年目、東京の荒波)

東京の会社に内定をやっとの思いで獲得し、
卒業研究も無事終えた僕は、関東へ新生活を行うことになりました。

現在の生活の拠点である東京、ついに社会人としてデビューできたのですが…

 

入社前に違和感を感じるのでした。

プログラマーよりもデザイナーになりたかった」

 

うん、もうすでに危ういですよね?

その意思を人事の人に入社式の時に伝えてしまったのです。

そして、特別にそのチャンスを貰ったんです。

 

また、新人研修の時に、能力的には問題なかったのですが、
自分の意思をないがしろにされることが多くて泣き出したこともあったのです。

同じ障害者がいる新人の中で、唯一僕だけが…

その時も確かに違和感を感じていました。
(その時の励ましは今も感謝しています)

 

合同研修が終わり、デザイナーとしての研修を受けることになりました。

ただし、当時はデザインの基礎も知らず、単に「趣味の絵描き屋」でした。

レイヤーブレンド、ペジェ曲線などには長けていても、
所詮は「素人のデザイン」しかできない、バランスも調整できない人でした。

研修の時に痛いほど思い知らされましたが、直せる範囲内だと思っていました。
それでも職務は遂行できると、当時は本気で思っていました。

早い段階でillustratorPhotoshopを使いこなすことができ、
絵描きそのものを趣味にしてる人が珍しい環境でしたから…

 

それでも「不適正」の各印を押されました。
そのときも今も本気で悔しいと思いました。

そんな僕に待ち受けていたのは「事務業務」に割り振られたことでした。

そこで発覚したのは、
「僕自身が本格的に事務業務に向いていないこと」でした。

ミスが多発し、大量に修正を入れてもらい、なおミスをして、

眠気にも勝てず、退屈に感じられる毎日、まさに地獄でした。

 

ここで疑われるのは「ADHD」であり、
これまでの人生ふくめて、それを体現していました。(後述します)

ただ、当時はそう思わず、以下のように片付けていました。

  • 難聴における成長過程のコミュニケーション不全
  • 事務作業ができないのは寝不足のせい

苦痛なのは間違いなかったので、自身のスキルを上げることにしました。

合間に勉強し、秋にはITパスポートの資格を取得しつつも、

C++C#を実用的に使えるように基礎の基礎から徹底的に勉強していました。

 

それを見込まれて、エンジニアとしての配属変更および、

Accessの教本を貰い勉強し、その過程でSQLについても本格的に覚えていました。

秋~冬はPythonPerlPHP、そしてMySQLなども覚えていました。

その期間中はVBAによるプログラムを量産していました。

便利だと思う機能をクラス化し、量産できる体制を生成していました。

 

…当時はプログラムできるので、これが天職だと本気で思い込んでいました。

まだ井の中の蛙に過ぎない、適正ではないと気づきもしませんでした。

2018年 (エンジニアが本づくりするってよ)

プログラマーとして大成したいと願い、ひたすらに勉強を続けていました。

というのも実際はVBAのみを書くのは退屈であり、

  • 僕自身の実績がアピールできない
  • このままVBAのみを書き続ける人生をやるのか?

これを天秤にかけると続けることができないと思い始めたのです。

 

6月は国家資格である「基本情報処理技術者」に合格できました。

 

その傍らで一つのプロジェクトを進めていました。

それも「個人誌を作る」という一大プロジェクトです。

www.pixiv.net

この本を出してました。

B5フルカラー36ページ、明らかにどうかしてるけど

全ページ描きおろしで描き切りました。

 

有給ぶっぱしまくって作画にひたすら時間を使っていました。

魂削りまくった感覚めっちゃあります…

その影響もあって仕事を続けるのが割とつらくなってしまいました。

 

それとは別に仕事もきちんとやるとこはやりました。

PHPの案件をずっと請け負っていました、
僕がサーバサイド(PHPMySQL)を全部担当していたものがあり、
それが終わるまでは絶対やめないと決めていたので、最後まで責務を果たしました。

リリース・初期保守・点検・監視が終了したのちに、

僕は10月末を以て退職し、無職と相成ったわけです。

(多分バレるでしょうけどバレて困ることもないですし、
正直素晴らしい会社だったと思います)

最も頼っていた上司も全く同じタイミングだったので、後腐れもないと思います。

 

やめてからの僕は失業保険と貯金で生活しています。

というのも仕組みを全然知らないので、勉強をたくさんする必要があるのでした。

給付制限の間の分は支払われないため、
その間に就活ではなく、バイトしときゃ良かったと今後悔してます。

 

12月までの僕は、プログラムを続けるならば

「Webプログラマー」「ゲームプログラマー」になりたいと思い、

その二つを募集している求人に応募しまくっていました。

また、PHPやUnityのプログラムをたくさん書いて、動くものを作っていました。

 

2019年 (2月まで)

結果から言いますと、

プログラマーとしての求人に落とされまくりました

Githubも一人で覚え、プルリクエストなどの経験も積んでいて、
ものづくりで真剣に向き合っていたはずでした。

これほどやってるやつがなぜ…?と思いました。

僕もそう思いました。

残念ながら事実なのです。

 

3月になって、確定申告を自分で終わらせてしまってから、

正直に自分の心を洗い出しました。

 

続き

kour.hatenablog.com

 

(( 6 - ヮ-)∂ すやすや